シャンティ

平安でありますように

無常とカイロスとクロノス

  1. 2016/11/28(月) 12:59:52_
  2. diary
ものつくりが楽しくて、時間がいくらあっても足りない。
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ブルーのはネルの生地で。 ワゴンの端切れを買ってあった生地を引っ張り出し、
丈が足りないので足して夫のパジャマに。
右のは麻と綿の混紡。サイズを変えた同じつくりなのだが、お出かけ用に使えそうだ。 


 


✽~✽~✽ 

ついでに残っていた端切れで、座布団カバーが2枚とれた。

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ファスナーは古いカバーのを外して使った。
普段しまってある座布団も、こうして作り直してみると気分転換にだしてみる気になる。

相変わらず、総菜パンもつくっている。

これは黒コショウを多めにしたチーズパン。
食パン一斤分の材料で12個。 一個で、食パン12枚切り1枚分。
冷めても美味しいので時々つくっておくパターン。

  チーズパン
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下のふたつは小ぶりで16個つくったが、これで食パン一斤分だ。
ふたつ食べても、8枚切り1枚分だ。

今回はフィリングを2種類。紅茶と味噌を使った。 
右下は、紅茶クリームパン。
古くなったテイーバッグを捨てられず(笑)、2袋の茶葉を袋から出し煮出してミルクに混ぜ、
薄力粉、コーンスターチ、砂糖に、ゆっくり熱しながら入れて、バターとバニラオイルでクリームをつくったもの。

左下のは、味噌パン。
残り物整理に、チーズと、古い味噌を使ったフィリング。
野菜の具材が半解けの、水分の少なくなったかなり硬めのシチューに味噌を混ぜ、
熱しても緩すぎないように片栗粉も少し足した。

紅茶クリームパン                  味噌クリームパン
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パンのフィリングが緩いと、つくる段でうまく包めないので、
一次発酵の間につくり、半冷凍状にしておくと、数の分に切り分けられるし包み作業も速い。

適当につくっている時は案外うまくいくもので、想像を超えて美味しい。
まぁ私の場合、食べるより作ることに興味があるのだけどね。
しかしこれをもう一度再現しようとすると、大抵は失敗する(笑) 

古かろうが残り物だろうが、その時使った材料に合わせた発想の加減が、まさにベストな味を生む。
ちゃんとしたレシピに残せない所以である。

何でもそうだが、やってみてうまくいかない経験が知恵を生む。
ネットにもレシピが山とあるが、どれもその人が味わった美味しさが含まれている。

手間暇かけるものにはそれなりに、つくる人の工夫やコツや愛情がたっぷりと、
必須栄養素のように仕込まれていて、
繰り返しつくる中から生み出せる旨みがあるものだ。

どんなに良いとされる、見た目でも、材料でも、調味料でも、
そこに備わる気持ちが、やっぱり一番大切。  

人生も同じかもしれないな~
長い人生、酸いも甘いも。そんな言葉があるが、
色々な経験から身についたその人の人格や深みは、どうしたって顔の表情や後姿に滲み出てくる。

自分が、
自分を認め、自分を赦し、自分を労わり、自分と分かち合い、自分を励ます。
その繰り返しが、毎日だ。 そしてその毎日は、あっという間に過ぎてゆく。

そのいま、いまの気持ちに、いつも探究心を忘れないでいたいと思う。
存在するものはすべて無常だということを思うからだ。

自然の中を毎日歩いていると、それが手に取るようにわかる。
昨日と今日の紅葉の景色もそうだし、道端の草の表情、道の土の状態、空気。
陽射しも、雲の様子も。風も。
風の肌に触れる感触などは、ビルや木立の傍でも違うし、平地や山の上や谷間でも、
その日その場所、その空の具合で全く違う。

どれをとっても、毎日が新しい新鮮な情景だ。

気候もそう。世の中もそう。毎日どんどん変化している。
毎日の変化が多くて、たった一日前のことでも数日前のことに様に思えるほどだから、
先月なんて話は、もう遠い過去になっている。

人生も無常。  いつもいつも、変化する。
誰かが変えてくれるのではなく、自分が自分を変化させる繰り返しだ。
昨年の自分などは、じっくり振り返らなくてはあまり思い出せないくらい遠い話だ。

自ら毎日を変化させることを楽しむと、過ぎた部分が消えてしまうのが加速する。
そして新たな、いま、いま、に居る感覚が拡張される。
いつも新鮮で意欲的な自分が持続することほど、楽しくて幸せなことはない。

そしてこの楽しい安息とも至福ともいえる時は、いわゆる時計が指し示す時間の中にはいない。
この、新鮮で意欲的な自分が持続出来ている幸せ感。
そう。この感覚こそが、無常を超えた平安の中で鎮座するワタシだ。

年末になると一年を振り返る意識からか、こうしたカイロス時間とクロノス時間のことを、
書こうとする自分が出てくる。
昨年の年末に書いた記事 「カイロス時間のなかで」を再度載せておこう。


「カイロス時間の中で」  2015/12/24 より引用

時間と手間暇をかけることは、イコール愛情を込めることにもなって、それだけ味わい深いですね。
ただそうしていると、時間が以前にも増して飛ぶように過ぎてゆくのを感じます。
集中していることが増えてしまい、一日はたちまちに過ぎていってしまいます。

でもそれだけではないようで、時間が経つのがやけに速いという感覚、これは、
私だけが感じていることではないようですね。InDeepのオカさんの記事にもありましたが、
時間には、クロノスとカイロスの時間があるといわれています。

クロノス時間は時計で表現される時間の流れを言い、
カイロス時間は、人間の感覚によって伸び縮みする時間のこと。
クロノスは「時間」を、カイロスは「時刻」を指しているともいわれます。

-------
ギリシャにあった偉大な時間の概念より引用
http://oka-jp.seesaa.net/article/422518082.html

古代ギリシャには「ふたつの時間の観念」がありました。
クロノス時間とカイロス時間というふたつです。

クロノスは、現在でも使われている時計などで表すことのできる「いわゆる時間」
の観念で、カイロスは、一般的な時間とはちがう「主体的な時間」を指します。

ということは、実際には「カイロス時間」には物理的な定義がないですので、
「時間は存在しない」という意味にもなります。
そういう観念を持っていたということは、古代ギリシャの人たちはきわめて
精神的な存在でもあったといえます。

その中で、「物理的な文明発展」も進む中では、主体的な時間だけでは不都合で、
それで、現在の「時間」となるクロノス時間というものが発明されたのかもしれません。
--
古代ギリシャ人たちは、物質的に生活するために必要なクロノス時間と共に、
「真理から見た時間(存在しない時間)」という意味のカイロスの
ふたつの時間を使っていたという、すぐれた人々だったようですが、
このカイロス時間というものは、その幅は、
決められていない点から、決められていない点までの無限
となっているわけで、つまり、カイロス時間から見れば、始点も終点もない
といえるわけで、もっというと、始点と終点はひとつである
という概念になるようにも思います。 <ここまで>

---------
カイロス時間で考えると、「文明の誕生」と「文明の崩壊」は同じということで、
ヨハネの黙示録には
「わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである」とあるのだそう。

マクロとミクロは相反することではなく同じ、ともいえる概念です。
カイロス時間は、本来あるべき人の感覚が取り戻されている経過とも言えます。

InDeepさんは以下のような内容も書いて下さっています。
------------------
http://indeep.jp/time-kairos-kronos-and-my-transformation/

2009年7月のウェブボットでは、巻末のエッセイで、クリフ・ハイは
「これからの世界の時間」について、以下のように記しています。

2009年7月20日のウェブボット巻末エッセイより

「いま」という瞬間に生きるとはどういうことであろうか?
それは時間が「いま」という一瞬に圧縮されることを意味している。

確かに、時計が刻む時間は物理的に一定であり、これが変化することは
ないかもしれない。 だが、われわれが生きる一瞬一瞬の時間の質が
最近まったく変化してきていることに気づいているだろうか?

いま一瞬の時間は、われわれがかつて経験したことがないほど濃密になり、
圧縮されたものとなってきている。

この時間の圧縮は、経済や社会、そして地球が変化するにつれ、
これから数年間で本格的になると私は考えて いる。

このような時間の圧縮の体験から、われわれ一人一人が
太陽系と変化の瞬間を共有し、また銀河系とも共有し ていることが実感として
分かるはずである。

時間の圧縮体験はミクロとマクロで人間に大きな影響を与えるはずなのだ。

古代ギリシャでは時計が刻む日常的な時間の「クロノス」と、
なにか特別なことが起こる「カイロス」という 2つの時間概念をもっていた。

いまわれわれすべてが「カイロス」の時間をともに生きることになる。
おそらくこれは可能性の高い予測として成立するだろう。

これは人間自身が望んだものではなく、
宇宙が人間に経験することを迫っているものなのだ。

仏教にはソターパナという解脱の境地がある。
これは「世界を生成する流れに入るもの」という意味だが、
これの鍛練した修行者によると、流れの入り方が最近大きく変化しているという。

いずれにせよ、われわれすべてに「カイロス」のときが迫っている。
そして、その体験を声にして表現することが今求められているのだと思う。
<ここまで>

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テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪    ジャンル : 日記



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