シャンティ

平安でありますように

素粒子は魂の構造

  1. 2017/02/11(土) 23:41:55_
  2. diary
もし仮にあなたが超ミクロでできた潜水艦に乗って
人間の細胞組織に入っていけたとしたら、
最初にタンパク質が連なる大きな分子に出会うはずだ。

そしてさらに微小な世界を探査すると、原子核を中心にした陽子、中性子の世界が出現する。
やがて、最後に宇宙空間を超高速で移動しているクォーク、ニュートリノなどの素粒子の世界を
旅するということになるだろう。

この素粒子が量子物理学で明らかにされた万物、または宇宙を司る構成物質だ。
言ってみれば、人間を構成する物質と宇宙空間に充満する物質は、
同じクォークやニュートリノなどの素粒子とまったく同じということになる。

これを仏教では、「空即是色、色即是空」と表していたわけだ。
想念はまさしくこのクォークなどの素粒子で構成され、時間と空間には無関係なうえ、
3次元と4次元世界を移動していることが量子物理学でわかってきた。

また東大大学院では量子は超高速でテレポーテーションしていることを証明した。
それゆえ、想念を送ることで、肉体に少なからず影響を与えられることが示唆されるわけだ。

著者 上部一馬氏 『超微小知性対ソマチッドの衝撃』
29~30頁 「想念は素粒子となって3次元と4次元世界を徴高速で移動する!」より

最近読んだ本の中で最もワクワクする文章だ。

私が生きてくる中でやってきた写経や、曼荼羅や宇宙空間や惑星の点描画、
それに物理はさっぱりわからないのにも拘らず、不思議なことに20年も前から、
こと素粒子の話しになるとなぜか頭のアンテナが、異常に反応する。

そうしたことが、なんとなくまとまってきたような気がしている。


 

✽~✽~✽

物質は分子でできていて、その分子は原子でできている。
原子は1㎝の1億分の1 の大きさだそう。

その原子も、原子核とその周りの電子でできている。
原子核は1㎝の1兆分の1、陽子と中性子でできている。
こうした粒子の中で最小単位である素粒子をクォークという。
でもって素粒子にはニュートリノってのがあって、
太陽や星、地底からも人間からも発生するし、宇宙中至るところにあって何でも通り抜けてしまうもの・・・・・

ワクワクするのはせいぜいこのくらいまでで、これ以上の専門的なことは、ご馳走さまだ。
ただ、思考とか感情が波動ということや、
物質もミクロな世界を遡れば、波動でもあり粒子でもあるわけだから、
存在するものは、目に見えようが見えまいが、結果同じ実体なのか? 
というところにいきつく。

更に最近の情報から量子のレベルでは、
誰かが、「それ」を見ていない場合「それ」は、現実に存在しないという実験が証明されたという。

「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、
オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html

↑のInDeepさんのところに詳しいことは載っている。
なんでも、宇宙も何もかもが、人間が認識してはじめて存在する、ということで、
認識しない時には無いに等しいということらしい。

この世界は有と無を分けた知識に覆われているが、
無という表現は、無いというよりまだ現れていない、目に見えないという解釈で私はみる。
言ってみれば、私が想う「無」とは、
肉眼に視えず心に昇ってきていない「有」が満ち満ちているもの。
それが、「空」というものではなかろうか。

これは般若心経をサラシに筆ペンで何反も書き続けてくるうちに、
なんとな~く、そうなんじゃないのかな~ 程度に想うようになったこと。
なので私の解釈であって、科学的に云々のことはよくわからない。

ただ、誰かが認識したものがその人の世界には存在することは確かであるが、
それを、誰もが同じように認識するかしないかは、別ということだ。
ひとりひとりの認識は、それぞれオリジナルなもので、誰もが独自の認識に基づく世界をもっている。
そしてその認識するものごとは、無いところから生み出す、創造する、そういったものらしい。

認識していない時には無く、認識すると有となる。
そこには観測者によって、全く違う展開が生まれると思う。

昔親しかった友人に、何十年ぶりかに会って話すと、
同じ経験をしながらも、その認識の仕方はまったく別だったりする。
同じ時空に居て、同じ会話をして、それでも認識が違えば全く別々の世界を創造しているのだ。


ところで、宇宙が何でできているかを調べてみると、
陽子とか中性子などの観測されて私たちが知っている物質は、全体の約5%にすぎないんだそうだ。
あとの95%は、未知の物質やダークマター、エネルギーなどまだわからない部分が多いのだそう。


またまた話が逸れるけど、
もしいま、私が死んでも、私が今見ている山や川や道、こうした自然は
何事もなかったかのように存在し、あたかも私が生きていなかったかのように、
何もかわらずその姿のままなんだろな~ こんなことを今まで何回も夢想したことがある。

でもそれも変化してきている。
なんていうか、この自然の中に居た私が消えるのじゃなくて、
私のなかに在る自然が消えるんだ。
私が死んだら、私が今まで在ると認識していたものごとは、実は私の意識の中だけのことで、
実際に肉体から離れたら、此処に居場所は無くなるわけで、観測は出来ないのだ。

私の記憶の中には残るとしても、それも自分が認識した景色や出来事であって、
残像みたいなもんなのかな・・・ 有るように見えていた、思えていた、私の。

ほんとうは有るとか、ほんとうは無いとか・・・そういうことじゃないのね。
自分が有ると思ったらそれが有り、無いと思ったらそれはやっぱり無いんだ。
だって有るも無いも、自分の認識に基づいた世界に生きているのだから。


永遠に、この生を生きるわけじゃない。
そして同じこの世でどんなに親しい家族や親族、友人知人がいても、
誰一人同じ世界を創造し、生きている人はいない。
それに、生まれ変わって新たに、輪廻転生を繰り返し、その都度生を創造する。
その時その時代の実体ではあっても、やはり永遠のものではなく、
何度も何度も違う設定の舞台に立つようなもの。

この世はそうした仮の創造、そのくらい曖昧な実体を、ぎゅ~っと握りしめているところだ。
その仮の創造を繰り返すことで、自身の認識と観測の視点が、永遠の創造に及ぶまでに深まってゆく。

深まった観測の視点は、過去、記憶、経験というものを「今ここ」に置いて立脚する。
線として自身の後ろに置くのではなく、点として自身の中に奥行きとして置くミクロな見方。
しかし世の中はマクロな方向へ、情報を追及し吸収しようとする。

サロンをやっている友人がこんなことを言ったことがある。
今は健康や美容情報が過多で、良いものと聞くと敏感に取り入れようとする人が多い。
そういう人の大半に必要なのはむしろ、取り入れるより先に、解毒や排泄を促す方法だ。


何でも吸収すればいいってもんじゃない。
自身の立ち位置、現状、足元、こうしたところを立て直していくべき時なのは、
世界中の国々に起きてきているだけでなく、世の中のこうした小さなところにもいえることらしい。

素粒子が活動している空間は時空ではない。
現行の物理学は、幅認識(マクロ・時空)に支配されているので、
素粒子(ミクロ)の話しは理解しにくい今の世の中なのだと、半田さんは言う。

半田さんのヌース理論は、冥王星生命体OCOTからの情報を解読したものだ。
理解しきれない部分がほとんどなのだが、それでも何となく言わんとすることは伝わってくる。

http://noos-academeia.com/blog/?p=3907
半田 広宣
素粒子はなぜ非常識な存在なのか?

アインシュタインが一般相対性理論を完成させるのと並行して、量子力学が確立されていきました。
この両者の違いはマクロの空間を対象とするか、ミクロの空間を対象とするかにあります。

ドイツの哲学者のカントは、時間と空間は人間の直感形式であると言っていますが、
いわばアインシュタインの相対論は時間と空間の形式を時空という(マクロ的な)概念のもとに完成させました。

一方、ミクロ的な概念である素粒子は、時間と空間という形式には収まりきれない性質があります。
それは素粒子が虚軸を含んだ複素数的な空間における存在であることに原因があります。

ここで問題なのは、私たちは複素数的な空間について明確なイメージを持っていないことです。

OCOTは素粒子は人間の意識構造と同型対応していると伝えています。
言い換えれば、素粒子は魂の構造だということです。

そして量子力学は素粒子の性質や構造を数式化することに成功しています。
つまり、あとは明らかにされた素粒子の性質や構造についてのイメージを持つことができれば、
ヌーソロジーの文脈から言えば、素粒子を魂として私たちは認識することになるのです。


イマジネーションの能力は何に由来するのか?

いったいどうして、私たちはものをイメージすることができるのでしょうか?
何かをイメージするためには、そのイメージのもとになるような記憶が存在しています。

私たちが生まれてから、あるいは生まれる以前からの記憶は、
ある容器に蓄えられていると考えることは自然な発想ですが、問題はある容器とは何か?
その容器はどこにあるのか?といったことにあります。

常識的に考えれば、それは脳内の海馬に蓄えられているということになります。
しかしヌーソロジーからすれば、それは投影されたものの見方であって、本質はそうではないと考えます。

ヌーソロジーでは、シンプルに記憶は私たちの魂に蓄えられていると考えます。
そして、その魂はココにあります。

しかし、このように述べただけでは根拠が示されておらず、あまり意味をなしません。
実は、このことに根拠を与えてくれるのが量子力学なのです。

このヌースアトリウムでは、イメージの能力を与えてくれている当のものである、量子についての
イメージを獲得するということをしていきます。
逆説的な試みですが、そこに量子は人間の意識構造と同型対応であるということを理解するきっかけがあります。


 
量子力学ヌース派、登場!!

ヌーソロジーでは素粒子の世界を人間の魂の構造と考える。
一体何を根拠にしてそんなトンデモないことを言っているのか?
その根拠を知るためには、一旦、今までの常識的な空間概念をエポケーしなくてはならない。

素粒子が活動している空間は時空ではない。
それは数学的には複素数で表現される複素空間となっている。

しかし、誰もこの複素空間に対するイメージを持ってはいない。
物理学者たちもあくまでも数学的な方法論として複素空間の概念を利用しているにすぎない。

ヌーソロジーはそこに「奥行き=虚軸、幅=実軸」という実質的なイメージを携えて侵入していく。
しかし、たったそれだけのことによって今まで量子力学が呈していた様々なミステリーが
一つの展望のもとにすべて解けてくることになる。
実は複素空間とは主客が一致した状態を表現する空間の形式ことなのだ。
物質の起源の秘密は主客の一致にあるということだ。     

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テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪    ジャンル : 日記



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