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シャンティ

平安でありますように

看取り士/尊厳ある死を支えたい

  1. 2018/02/09(金) 17:03:51_
  2. diary
早いものですでに2月も9日が過ぎてしまった。

点描画が一段落すると、ここへやってくる。
今回も制作に10日近くかかった。 
大好きな点描を描き続けられるのはとっても幸せなことだと思う。
今年はどのくらい描けるかな~  楽しみだな(^^♪

先日親しい友人と2か月半ぶりに再会した。
私には勿体ないほどのベストフレンドだ。
その親友から聞いた話を今日は( ..)φメモメモしておこう。




 


✽~✽~✽

最近よく耳にする終活という言葉。
自分はともかく親を見送ったという友人知人が、近頃多い。
そうした中で今度は友人知人自身が、終活に向けた行動を始めたという話も伴って、
身辺整理や断捨離は早めに進めているという。
そんなことも重なって、先日聞いた親友の話しは肝にズシンとくるものだった。


以前「おくりびと」「という映画をみたことがある。
納棺士が旅立ってゆく方のご遺体の身なりを整え、遺族との最後のときを厳粛に進めてくださる。
通常現実には、葬儀屋さんのスタッフがそうしたお役目をして下さる場合が多いようだが、
私も以前 親戚の人を見送る際に、納棺の準備をしていただいたのを覚えている。

その立ち会う場面というのは、何度経験してもとても衝撃的で、(表現がなんか変だが(-_-;))
初めて立ち会った10代の親戚の青年は真っ青になって、最後までいられず
途中で部屋の外に出て行ったこともあった。
親しい人の死とはそのくらい、受け入れがたいものだ。


こうした納棺士のことはしってはいたが、それとは別に、「看取り士」というのがあるそうだ。
親友から聞いたのはこの「看取り士」柴田久美子さんのことだった。
最期を自宅で過ごしたい、という方の支援をされているという。

岡山で古民家を借り、在宅ホスピス「なごみの里」を拠点に、
看取りを行う団体「一般社団法人日本看取り士会」を全国に展開、
「看取り」に関わる専門家を養成するカリキュラムを提供し、
在宅看護支援や「看取り士養成講座」や講演会など、
代表の柴田久美子さんも自ら看取り士として活動。
 
「旅立つ人を抱きしめておくる」文化を次世代に伝えたいと願う講演に、
多くの人が涙を流すという。

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「看取り士」
20131108-130603_871_117.jpg


http://www.cocolotus.com/item/1922" target="_blank" title="">尊厳ある死を支えたくて 柴田 久美子さん(看取り士)    より転載


──柴田さんが看取りの仕事を始めたきっかけは。

私はかつて、福岡県の老人福祉施設で働いていました。
最期のときが近づくと、お年寄りはその施設から病院に移送されます。
そして、何本ものチューブをつながれ、人工呼吸器をつけ、
いわば強制的に生かされ、苦悶のうちに息を引き取っていくのです。
そんな状況を目の当たりにして、なんともやりきれない思いを抱きました。
安らかな最期を願う人たちにとって、これほどつらいことはないでしょう。

そんな光景に耐え切れなかった私は、訪問介護の仕事を経て、
島根県の知夫里島に、看取りの家「なごみの里」を開設しました。
人口わずか600人のこの島で、医療が介入しない看取りを十四14年間続けてきたのです。
私が追い求めていた「人間らしい生と死」がそこにはありました。

現在は、活動の拠点を米子に移し、
「看取り士」として最期の付き添いから納棺前までのお世話をさせてもらっています。
私の尊敬するマザー・テレサは、こう言われました。
「たとえ、人生の99%が不幸でも、最期の1%が幸せなら、その人の人生は美しいものに変わっていくのです」

これをいまの日本にあてはめた場合、人生の99%は幸せですよね。
飢餓に苦しむこともなければ、銃弾が飛び交っているわけでもありません。
でも、最期の1%を幸せにすることについては、あまり考えられていません。
そして、なんの準備や覚悟もできないまま、いざ死が目の前に迫ってくると、
一分一秒でも長く生きていればいいという選択しかなくなる。
結局は、それで自分や家族を苦しめているのです。

今後、日本では団塊世代の本格的な看取りが始まります。
現在、110万人ほどの年間死亡者が、この団塊世代の参加で170万人になるといわれています。
そして、孤独死をする人は、43万人と推計されています。

“多死社会”を迎えようとしているいま、
すべての人が安心して旅立てるような価値観の転換が求められているのです。



──価値観の転換とは、どのようなものでしょうか。

何も難しいことではありません。
死は怖い、忌み嫌うという考えから、死は喜びであり、感動であるという死生観を取り戻すことだと
私は思っています。

ひと昔前までは、人は在宅で亡くなることがごく一般的でした。
当時は、暮らしの中に死の文化が根づいていたものです。

ではなぜ、わが国では、死の文化が見失われていったのでしょう。
私は、少子高齢化や核家族化などによって、病院や施設で亡くなるのが一般的になってきたからだと思うのです。

看取りとは、本来、家族と“幸齢者(こうれいしゃ)”の愛に満ちあふれた人生のラストステージです。
肉体は、エネルギーが低下しますが、魂は、生まれてきたとき以上に最大限まで高まります。
その魂を次の世代へと手渡していく。看取りは、そんな感動に満ちたひとときなのです。

私たちが人生の最期に望むものは、お金でもモノでもありません。
愛する家族や友人のそばで、心安らかな最期を迎えたいのです。

私は小学6年生のとき、最愛の父を亡くしました。胃がんで余命3か月でした。
亡くなる日、父の部屋の障子は光に包まれていました。
たくさんの人びとに囲まれ、父は一人ひとりに「ありがとう」と言葉をかけました。
最期に、末娘の私の手を握りしめ、「ありがとう、くんちゃん」と微笑みました。
やがて、その手は冷たくなり、硬くなりましたが、長い間、私は父の手をずっと握り続けました。

人の死が大きな感動を与えてくれるものであり、とても尊いものだと、
父は自らの死をもって教えてくれました。
死は命のバトンをつなぐ場面であり、決して怖いものではない。
最期に残してくれた「ありがとう」という言葉は、いまも私の心の中に息づいています。


──介護を必要とする人を24時間体制で見守る「エンゼルチーム」という活動も展開されていますね。

このエンゼルチームは、介護保険を全部使い果たし、それでも人手がないと暮らせない方たちのためにある、
看取り・見守り無償ボランティアのことです。
一人の利用者に対し、十人ほどのボランティアが交代で対応します。
在宅で安らかな死を迎えるためになくてはならない活動だと思っています。
現在、全国に17支部あって、約300人が活動に参加してくれています。

お迎えが近い方への看取り援助をはじめ、認知症の方のお世話まで、
ありとあらゆる活動を精力的に行なっています。
活動を開始して、まだ3年あまりですが、多死社会を迎えるにあたり、
今後ますますこうしたニーズは高まっていくことでしょう。


「尊厳ある人間として旅立てる社会に」。
柴田さんはそう心に刻み、相手に寄り添いながら温かいふれあいを続けるいま、
多くの人の支えや祈りの中で、自分が生かされていることを実感しています。
私は特定の宗教をしていませんが、何か大きな力が応援してくださっているように思えてなりません。
看取りの場面で、逝く人が見せてくれた神々しいまでの慈愛の光は、私に生きる勇気を与えてくれます。

これからも、旅立つ人の心にそっと寄り添いながら、
みんなで一つのいのちを生きていることの素晴らしさを伝えていけたらと思っています。 

『やくしん』2013年8月号(佼成出版社)

<転載ここまで>


死は終わりではない。抱きしめて看取り、始まる新しい命。 より引用

「最期は自宅で迎えたい。」このような希望を持つ人が増えてきて久しい。
ただ、その希望をかなえる環境が十分に整備されているとは言い難い状況だ。
現に8割の人は自宅での最期を望んでいるものの、実際に自宅で息を引き取る方は13.6%だと言う。 (略)

自ら看取り士として活動する柴田久美子さんは
「臨終」の本来の意味は終わりではなく、家族や友人へ命が引き継がれる時間の始まりだと言う。(略)

「看取り」という言葉や「人が死ぬ」ということは忌み嫌われるものであり、
島の人たちの懸念は想像以上に大きいものでした。また、私は宗教家ではありませんが、
看取りには、魂という目に見えない世界、スピリチュアルな側面が表裏一体として存在しています。
そのようなことを語ると宗教法人と勘違いして「出ていけ!」と住民の方とトラブルになることもありました。
入居者はいなくてもスタッフはいるので給与は出ていく。最初の半年は辛かったですね。(略)


私が行う看取りが他の看取りと違うことは、自然死での最期、その方を抱きしめるということです。
人は生まれてきたときに誰しも抱いてもらいます。
それと同じで、最期の1分でも抱いてもらうということはとても幸せなことだと思います。
抱いて送るということはごく普通なことなのです。

人間には体と心と魂があります。亡くなったら体は冷たくなりますが、
看取りをきちんと行うことで、その人の心と魂は私たちに受け継がれていきます。
死んだらプロが主体となって体を清拭し、葬儀などの儀式を行うだけ、で終わらせてしまうと、
家族の喪失感はとても大きなものになってしまいます。
だからこそ、その前段階、余命を知ったときから納棺までの間のプロセスは、
家族や親族、親しい友人に関わってほしい大切な時間です。(略)




一般社団法人日本看取り士会
http://mitorishi.jp/
会長 柴田久美子

2025年、団塊の世代の方々が75歳以上となり、
この国は4人に1人が75歳以上という超高齢社会になります。
厚生労働省の試算では、その5年後の2030年には、
病院でも施設でも自宅でも死ねない「看取り難民」が47万に達する見込みです。

私たち日本看取り士会は、近い将来この日本に訪れる「多死社会」に向けて、
看取りを支える“看取り士®”の養成、“看取り学®”講座などの看取りに関する啓発活動に取り組んでいます。

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ということで、色々と考えさせられた看取り士の存在。

しかし驚くのはここからの話し。

柴田さんは看取りをされながら、ご遺体からエクトプラズマ…肉体(口か鼻)から出るのを
看取る12体目のご遺体で目撃されたそうだ。
それは白い靄のようだったそう。


看取りには実は、深い意味があるようだ。
「あの世への旅立ちのとき」と題して開催された数理物理学者の保江邦夫氏と
日本看取り士会の柴田会長との講演会での記事のいくつかを読むと、その意味がみえてくる。

或る看取り士さんの参考記事
看取る側は看取られる方の顔との距離を、20㎝以下に縮めるのだそう。
それは看取られる方の小さく小さくなっていく呼吸を感じる距離で、
看取りの時には空間に変化が生じ、いつもと違う空気感がそこにあることを感じるのだそう。

柴田会長は看取りの場面で、
旅立つ方の肩の後ろ側、もしくは肩先からモヤモヤと出てくるその何かに、
愛という文字を感じるようになったそうだ。
そのモヤモヤは保江先生が表現すると「エクトプラズム」
いのちのバトンでもあるそうな。

『命のバトン』とは、その方が生まれてから旅立つまでに祖先から受け継いだ
良い心と魂をさらに生きていく中で大切に育まれてて、磨かれて、蓄積したもののことで、
その命のバトンを受け取るには、受け渡す相手との距離も大切だという事を
柴田会長は長年続けてきた活動の中で自然に感じ取ったことだという。

旅立ちの時に、このエネルギーを受け取った方たちは、
そのエネルギーをその後を生きていく糧にし、受け継いだエネルギーを大切に活用しながら
いただいた方と共にその後を生きていく、その繰り返しが生命の営みなんだ。
というお話しだったそうだ。

驚くことに、 身体に不調なところを持つ方や心の病気にかかっている方は、
旅立つ際の方に触れたり傍にいることで、改善が見られると言う話もある。
会長はその様子を「チューニングされていく感じ」と表現されているという。

---------
肉体から離れ解放された魂は、4~6時間程ベッドに横たわる自分の姿を
上から見下ろすというのはよく聞く話だが、
どうやらその状態の魂は、本来の高い意識状態に還っているのか、
傍に来ている例えば自閉症や末期がん患者などの症状が、改善されるという実話があるようだ。


看取るとは「見つめて」「安堵させ」霊を「送る」という仕事。
無言でジッと目と目を合わせる…ジッと見つめること。
言葉は要らないらしい。

人が産まれた時には抱きしめられるように、旅立つときにも抱きしめてあげたい。
そう考える柴田さんの深い愛に感動したのだった。

日本看取り士会は、
全ての人が最期、愛されていると感じて旅立つ社会作りを目指しているとのこと。 

何か大事なことを思い出させてくれた、看取り士の話しだった。



テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪    ジャンル : 日記



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