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シャンティ

平安でありますように

この世に価値がないいのちなどない

  1. 2018/05/18(金) 14:41:26_
  2. diary
点描の宇宙画を描くテンポが少し変わった。
今までは、好きだから描く。  とりあえず描く。 ひたすら描く。 描くという前提で今日を過ごす。

それが今は、私のなかの自然体の流れに沿って描く、そんな感じ。
言ってみれば、学ぶ感覚から、楽しむ感覚になったような気がする。
曼荼羅画から宇宙画に移行し、3年が過ぎ、
少し自分なりのオリジナル性が安定してきたのかもしれない。


ところで。
「仕事」 と 「生業-なりわい」 の違いって、なんだろうか。




 


✽~✽~✽

昨日、お勤め帰りのご近所の方とたまたますれ違い、
「仕事しないで家にいるの?」 「暇でしょ」  そんな言葉が飛んできた。

ぁん?  暇でしょ、だとゴラァァァァァァァァ!!! (-_-)/~~ ~ピシー! ピシー! 
人生に暇なんて瞬間は一時もないわ、と思ってる私は内心少しムッとして、
「いやいや毎日楽しむのに忙しくてお勤めする暇 ないのよね~」 

そんな言葉を心に思いつつ 
「まぁね~」とだけ答え、にっこり笑って後ろ姿を見送った私も、けっこう嫌味なヤツだ(笑)


世の中には「働かざるもの食うべからず」なんて諺がある。
こうした「仕事しないで・・・・」 目線を浴びせる人は世の中には大勢いるし、
働いてお金を稼いでこない大人は価値がなく、
持病でもなければ怠けているとでも言わんばかりな風が吹く。。

仕事をする人=お金を稼ぐ人=税金払う人
高度成長期を支えるこうした構図は、世代を超えて染み渡った時代の色でもある。

しかし一億総活躍なる経済成長を急かす今のずっと昔には、
だれもが存在することに価値があり、役目を担って、
無意味なものごとなど何一つなく活かしきれていた時代があった。


私はかつてお勤めをしていた時期もあったが、お勤めをしないで家に居る今を、
そもそも仕事をしていないなどとは思ったこともない。
だいいち人はお金を稼ぐ稼がずに拘らず、存在するだけで価値があり仕事してるものだ。

なのに世の中いつの間にか、人が動かしているはずの経済に、動かされて生きるようになってしまった。
お金。お金。お金。  
お金があれば何でもでき、お金がなければ望むものごとも叶わず難しい。
そんな暗黙の定義を、大多数の人の心の奥に密かに根付かせてきてしまった。

そこで、あれあれ?と気づき、お金以上にもっと大事なものごとが、
既に誰もがもっていたじゃないか、これをもっと活性化したらいいんじゃないの、
さて今後どうしましょか~ こうした展開の今この時代だ。

そこで今一度、この仕事の意味、生業の意味を確認しておこう。
職能開発センターでの「労働法」の講義の一コマの話し。


〈仕事〉と〈生業(なりわい)〉の違いがわかりますか?
https://plaza.rakuten.co.jp/utheartful/diary/201709260000/


「〈仕事〉と〈生業(なりわい)〉の違いがわかりますか?」

「私の故郷は九州の片田舎で、山と川に囲まれた自然豊かな集落です。
棚田を耕し、溜池で貯水し灌漑しながら生計を立てています。
酪農家もいれば養鶏家もいますがほとんどが農業従事者です。
とはいえ専業農家はほとんどいません。

現代社会では、山村といえども貨幣経済の中に組み込まれているので、
現金収入を求めて街に働きに出る者が大半です。
この現金収入を得るための作業が〈生業(なりわい)〉です。

一方、里山を保全したり、溜池を管理したり、土を耕したりするのは
集落という運命共同体を支えるための作業で、金銭的な報酬を求めてはいません。
これは住民の〈仕事〉に当たります。


集落には学校がありませんので、小学生も中学生も街の学校まで通います。
学校の帰りに新聞の集配所に立ち寄って、普段あまり、街には出向かないお宅を
一軒一軒訪ねて朝刊と夕刊を配って回ります。

いくばくかの収入は得ているでしょうが、それよりも街の様子を伝えたり、
元気な姿を見せる事で集落の一員である事を示す意味合いの方が大きいと、私は思います。

小中学生でも果たすべき使命=〈仕事〉を遂行しているのです。
現金収入を得るための〈生業(なりわい)〉は、時には苦役になることもありましょう。
しかし、使命感を持って行う〈仕事〉は喜びになる事はあっても、決して苦役にはなりません。<引用ここまで>

-------

現金収入を得るための作業が〈生業(なりわい)〉といい、
金銭的な報酬を求めずに運命共同体を支えるための作業を仕事という、わかりやすい話だ。

そういう意味からすると、現金収入を得ずとも
家庭という共同体を支えることで、主婦も立派な仕事人であり、
おじいちゃんもおばあちゃんも孫も、誰もが家族という共同体の仕事をしている。

また しょう害があったり持病があっても、人として役目があるから存在しているわけで、
これこそが本来の、存在する価値であり、仕事という使命を果たしているのである。

お金という、収入を得ないおじいちゃんも幼い子供も、
もしも突然この世からいなくなるような事態が起きたりすると、
その存在の尊さが如何に大きいものであるかを知ることになるのは想像に難くない。


「魚水中にあって水を知らず 人塵中(じんちゅう)にあって塵(ちり)を知らず」

生きるとは、生かせる働きをこの身に授かってはじめて、生きられるわけで、
その授かった働きに、謙虚さを以って想いを致すことができれば、
存在する意味も価値も最初から備わっていることがわかる。

この世に価値がないいのちなど、ないのだから。


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テーマ : 日々のつぶやき    ジャンル : 日記



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