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シャンティ

平安でありますように

魂の再会は星空に似て

  1. 2018/08/26(日) 17:07:16_
  2. diary

今年の8月はいつもになく めまぐるしい日が続いたが、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。
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父の13回忌の後、集まった親族みんなで、町のコテージに泊まった。
総勢7家族17人で、コテージの庭でのバーベキュー、その後は賑やかな宴だった。
コテージの左の小さな建物は、バーベキュー用に備わっている小屋。




 


✽~✽~✽

それまでの酷暑から打って変わって、降り立った女満別空港での気温は16℃。
故郷から車で1時間余りの所にある層雲峡では、この日、
観測史上2度目の真夏の雪が降ったというだけあって、ほんとうに過ごしやすかった。
道産子の私は、関東の夏の湿度の高さにはいまだに馴染めず、むしろ寒いくらいの方がずっと楽なのだ。

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2階部分には2部屋で6つのベッドがあるし、階下も広々しているのでガヤガヤ好きに雑魚寝。
コテージには温泉も付いていて、傍に「ゆぅゆ」という大風呂の温泉もあるが、
私はこのコテージの温泉が大好きで、楽しみのひとつでもある。

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コテージの中は壁の木目が何とも優しくて、まるで森のなかにいるよう。
左上は二階にあがる階段から、吹き抜けの天井にかけて撮っており、
右上は二階から一階に降りる踊り場。

翌朝は、清々しい空気の中を少しお散歩。
私の故郷の景色に、白樺は欠かすことはできない(笑)

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というわけで今回の帰省は、兄弟や甥や姪の家族と久々に賑やかに過ごせ、
これも父の法要を機に出来たこと、父もきっと喜んでいるだろうと思う。
施設にいる母にも3ヵ月ぶりに会えた。
帰り際に握った手は想像以上に力強く握り返してくれ、
心なしか、春より表情がしっかりしているようにも見えた。

******

北海道に行く前日にも、懐かしいふたりの友人との再会をした。
ひとりは、夏になると休暇で日本に帰省する、スペインに住む友人。
彼女はヴィセント・ギリェム氏が書いた著書「魂の法則」や「愛の法則」を邦訳し、
この質の高い良書を日本に広めた立役者である。
精神性の高い ものの見方考え方は、話していてほんとうに学ぶことが多く、
また話すと安心を与えてくれるような、素敵な人である。

またもうひとりは、これまた質の高いブロガーだった人で、今はもう書いていないが、
私が最も愛読していたブログを発信していた人である。
長年多くの人を啓蒙してきた彼女のブログ名を聞けば「あああ~! 知ってる~!!」
そう言ってとっても懐かしがる人が大勢いると思うし貴重な逸材のひとりだ。

そんな素晴らしいふたりと、年に一度のミーテイングとも言える再会。
私はこの定例化した再会を密かに、「クリスタル会議」と名付けている(*'▽')

ではなぜ、こんなぐーたらで品そな私が、こんな素敵な人たちと交流することになったか。
それはやっぱり、ブログを書き続けてきたことによって得られた、「魂の再会」なのだと思う。


形を変えつつも長年書き続けてくる間には、様々な人との出会いが起きるものだ。
当初まだ、ブログなどと言うシステムもない頃から、見よう見まねでホームページをつくり、
コミュニティをつくったり、日記を書いたり、また身近に居る人とは話せない関心ごとや疑問などを、
書き続けることで、こうしたブログを通して共鳴共感する人との出会いが起き、
ほんとうに沢山の出会いを重ねてきた。

いわゆるオフ会に繋がる人というのは、初めて会うのだけども再会だと確認することが多い。
7月に初めて会った3人も、まだ会う前から事前に、再会だということが不思議とわかってしまう。
そして実際に、「はじめまして~」と言って物理的には初めて会うのだけれども、
もうすでにその時には、間違いなく再会であることを確信する、
いや、確認するという方がしっくりくるものだった。

こうした再会は殆どの場合、ソウルメイトであるとわかり、同じ星から来た同胞であることが
双方の魂レベルで感じ取ることが出来てしまう。
物理的な脳内の枠を超えた、すなわち別の時空と繋がっている記憶を遡った、
この世以外の記憶を一瞬で呼び戻している状態だ。

こういう理屈を超えることが起きる度、ヒトってスゴイな~ って、いつも思う。

ん~ 話が逸れたような・・・(笑)

逸れたついでに。
私はその、縁濃きらしき新たな出会いの場合、その日を前後して
鎮まった暗い空間を双方から向き合って進む光線として、
脳内に描写される映像のようなものが浮かぶ。

魂の再会の場合には、
その向き合ったふたつの光線が、ひとつの直線になり、その後、
丸いひとつの光の玉となったのちに、その映像が終わる。

なかには、会って何年もしてから、何かの意味が終わるかのように、
丸い光だったものが左右にすれ違うように光線を引きながら、分かれていくこともある。
それが浮かんだ場合は、のちにあることをきっかけに、徐々に離れてゆき、
その後再会することはもうない、という事態が起きる。

光線が交差することなくニアミスのようにすれ違ってゆく出会いもあれば、
同じ方向から並行して進み、ある時遠く離れていったり、
突如近づいてきて、それからずっと、並行しているのもある。

ぁ、そうそう。遠くで小さく、ずっと関わってくれているんだろうな~的な光もある。
気付けばいつもあそこにあるな~という具合に。

まぁ、普通に関わるほとんどは、特に映像にはならないのだが、
やはり何か意味のある縁が動くのだろう時には、ふっと、そうしたことが頭の奥で揺らぐのだ。


因みにスペインの友人と元ブロガーの友人の、光の映像はどうかというと。
少し特殊で、はじめあまり光も感じなかったのだが、会うようになって1年後の再会のころに、
私自身から少し離れたところに、星のように丸い光がふたつくっきりと浮かんだことがあった。
それをみた瞬間、その丸い光が彼女たちだということは、疑いなく理解できた。

こうした光線や光は、ある瞬間にふっと、その時対象となる人だけが現れるのあって、
全ての人の光が同時に私の回りに見えるわけではない。
やはりこの時空において私たちは瞬間瞬間、自分の世界を作り出しているというのが、
こうした感覚からも感じられることだ。


帰省する時は、時間と天候がうまく合えば必ずというほど、夜中に外に出て、空を見上げる。
夏よりも秋、秋よりも冬のほうが、ずっときれいに満天の星をみることができるが、
今回もやはりそうして、星空に埋もれてみた。
それは上に書いたように、私の魂の繋がりの映像が、この星空に重なるからなのである。

大小の無数の星々に包まれる感覚は、縁濃き無数の魂との再会にも似て、
例えようもない至福の瞬間を、空は私に与えてくれるのと同時に、
訳もなく切なくなって涙が溢れてくるのだ。

この、切ない気持ち。

こうした感覚になると私は決まって、頭の輪っかが締め付けられるような妙な痛みがくる。
孫悟空の頭の輪っかは「緊箍児(きんこじ)」という名だそうだが、
あんな輪っかが頭を締め付ける感覚は、海馬が大きくなる時に起きるのだそう。

アルツハイマーやうつ病などは海馬が小さくなると聞いたことがあるが、
確かにこうした、心の深い部分に沁みる感情って、特に大人を長くやってると滅多に湧くことがない。

でも、あの星空を眺めて切なくなる想いって、
自分自身の何か純粋な部分に触れるような感じになる。

更には、記憶を司るという海馬に影響するというのも、わかる気がする。
海馬にはこの世に生まれる前からの記憶が仕舞ってあるんじゃないかとも思う。

もしかしたら、私たちは空に輝く何処かの星からここ地球へやって来たんだという話も、
まんざら嘘ではないのかもしれない。
それほど、何か究極のような、切ないものを感じるのだから。

って、話がどこか遠くまで逸れていってしまって、収拾がつかなくなったので、
これでおわることにする。  
  

落ちがそこかいな ((+_+))


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