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シャンティ

平安でありますように

縄文② 縄文人と日本人の精神性

  1. 2018/09/05(水) 14:34:37_
  2. diary
今回は、縄文時代の国外との関連が詳しく書いてあり、とても興味深い。

古くからの先住民であったアイヌは、やはり縄文人だった。
アイヌには、南米インカの末裔である南米のインディオたちと、
ほぼ同じと言っていいくらいの共通した遺伝子が発見されているそうだ。

また縄文人のルーツに、北からやってきた「エスキモー」と呼ばれていた「イヌイット」が
いたこともわかったそうだ。
イヌイット、インディアンのピマ族、そして日本人であるアイヌには、共通して「肥満遺伝子」があるという。
栄養を体内に脂肪として蓄える能力に優れた機能を持つための遺伝子だそう。



 


✽~✽~✽

徒然ブログ
②日本人の祖先とは?  2009/2/24(火)
https://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/57094195.html

(行修正、青字加筆してます)
実は縄文の文化は東日本で発達した。
東日本の縄文人の多くはいわゆるアイヌであったようです。
これはいろいろと批判があるようですが、基本的には東日本では
アイヌが古くからの先住民であったことには変わりがないだろう。

アイヌはインディアンとインディオの遺伝子にかなり近いのだ。
アイヌはポリネシア人と共通の祖先を持つアジア系民族といわれているが、
南米インカの末裔である南米のインディオたちとほぼ同じと言っていいくらいの
共通した遺伝子が発見されている。


また縄文人のルーツはもう1つ流れがあるようだ。
以前は「エスキモー」と呼ばれていた「イヌイット」と呼ばれる人たち
だ。
北極圏に居住し寒冷地に適応するため体毛が薄くなり目も一重になったといわれている。
彼らイヌイットもまた北から日本列島にやって来ているという。

イヌイットと日本人の関係性は、あまり学会で語られることは無い。
かつて北海道のモヨロ貝塚で発見された人骨がイヌイットのアレウト族に似ている
と指摘されたことがあったが、大規模集団での日本移住についてはこれからの研究に期待したい。

ただ、遺伝子的な問題で注目したいのが「肥満遺伝子」である。
その名の通り「肥満になりやすい遺伝子で、言葉をかえると、
栄養を体内に脂肪として蓄える能力に優れた機能を持つための遺伝子といえるのだ。

この肥満遺伝子を多く持っているのが、イヌイットとインディアンのピマ族と日本人なのである
インディアンは北アメリカ大陸でイヌイットと生活領域が隣接していたことから交流があったことも想像できる。

日本、特に東日本でも交流があった可能性が高い。これを裏付けるのが「遮光器土偶」である。

dogu2.jpg c36e51ce.jpg

上右は、遮光器(写真はエスキモーが用いたゴーグルで太陽光を遮断できるようにした器機)

これは縄文時代の土偶で、大きな目のわりには細い線が引かれている。
宇宙人説なども飛び交っているが、名前のごとくイヌイットが現在でも使っている
雪目予防の「遮光器」を象っているのではないかといわれている。

したがって東日本で遮光器土偶が広く分布するということは、
北方からやってきたイヌイットと南方系のアイヌが合流し、
互いに縄文の文化を育んでいった
ことを示している。


現代アカデミズムの学者たちは、旅客船や旅客機の無かった古代では
陸地以外でも民族が移動するということは考えられなかったのだろう。
それこそ現代人の傲慢ともいうべきものです。

ヨーロッパの大航海時代の以後に彼らによって発見されて、
そうして考えついた仮説があまりにも西洋中心思考です。
彼ら西洋人から見れば下等扱いであり
「インディアンがそんな高度な海洋技術を持っていたはずが無い」
と考える西洋の学者たちは頭から否定しています。

北中米にいた古代インディアンが、
ポリネシアやミクロネシアやハワイなどの環太平洋民族は大昔から船で交流していました。
その古代インディアンの一部が新天地を求めたり、交易などで太平洋に繰り出した
のです。
南米から出た人たちはイースター島やタヒチやオセアニアのマオリ族として定住したものとされる。

また、その一部が東南アジアから日本に流れ着き、日本の原住民である縄文人として
インディアン文化と共通した文化を形成していった
と思われる。

そしてヨーロッパで約1600年前に起きた「ゲルマン民族の大移動」によって
玉突き状態で押し出された人達が東アジアに流入してきたことで「五胡十六国の大乱」が発生しました。

そのアジアの乱世からヘブライの血流を引く大和民族とそれに従うアジア騎馬民族たちが
日本に渡ってきて日本先住民(倭人)を駆逐して征服しました。

まずは九州から西日本地域が占領され、邪馬台国は滅び、
倭人は勝ち目の無い戦いを挑んで次々と殺されていきました。

神武天皇はこの時代の大和民族の長であった可能性が高い

今でも日本のエスタブリッシュは彼らの血統を受け継いでいるとされている。

そして、だんだんと大和民族に従属する者たちも現れ、やがて大和民族と倭人は同化して人口が急増した。
しかし、東日本側の倭人の抵抗は激しく続いた。
ヤマトタケルの蝦夷征討はこのことを伝えたもの
だということです。

その後も大和朝廷に対して東日本の倭人の抵抗が続き、
征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂による蝦夷征伐で
倭人の多くは北海道に逃れ、アイヌとして独自の文化を形成していくのです。

彼らの生き残りが、アイヌ民族や琉球諸島や奄美諸島に住んでいる人たちの一部なのかもしれない。
台湾の少数民族もルーツは共通していると思われる。
なぜなら、距離が遠く離れているのにも関わらず、
彼らはとても酷似した文化の根源を持っているからなのです



<ここまで>
----------------

人が亡くなる理由に、病気は別としても交通事故は珍しくない。
北の真冬の極寒の地ではそれに、凍死が加わる。
真冬に酔っぱらって外をウロウロしていたら凍死する。
油断すると命に関わるのだ。

一年の半分は寒さ対策も必要になる。
関東の冬は北の地にしたら秋の様に過ごしやすい時期が長い。

こうした厳しい自然環境下では、人は寄り添う気持ちを濃くするように思う。
例え知らない人であったとしても、どこそこの誰が気に入らないだの、嫌だの、
そんな理屈など言ってられないほどの、いのちにかかわる厳しさを共有しているわけだ。

人は何かあったら、助けたり労わったり力をかしたりするような、
個人感情を超えて、手を取り協力する精神を、暗黙の裡に、持ち合わせて生きているとは思う。

そしては自然環境が厳しいなかでは特に、その必然性を確認する率が多いわけで、
自然への畏敬の念を携えると共に、人と人との連帯性が欠かせられないものだ。

その気持ちは日本人には普通のようでも、外国人からしたら、
東日本大震災の時のように、いざとなったら冷静沈着に、
無意識下で行動してしまう精神性の高さは驚異的だという。

当の日本人にすれば、あぁいう非常事態の時はむしろ、
普段より不用意な言動は慎んで過ごす人が非常に多かったように思う。

私はこうした日本人の精神の秘密が、縄文のDNAにあるのではないか、
またそうした根を持つ人たちが築いてきた文化が、自然のなかで根を張る様に、
無意識下に浸透しているのではないか、そんなことを思うのである。

私がアイヌへの想いが強いのは、
北海道の中でも極寒と呼ばれる、極度に寒い地域で、自分が生まれ育った環境が、理由の一つにある。

そしてアイヌだけではなく、命からがら原生林のなかを開拓した先人や、自分の先祖は、
どんなにか寒かったろう、冷たかったろう、辛かったろう・・・
と、そんな気持ちで苦労を偲ぶとき、

過酷な中を力強く生き延びてくれた、未来でもある現在に、
自由に生きられる日本人のひとりとして、遥かいにしえより連綿と繋がれたひとしずくだ、ということを、
忘れてはいけない、絶やしてはいけない、いのちを大切にして生きよう。
そんなことを思うのである。

でも縄文やアイヌの人たちはきっと、私が思うよりずっと、幸せだったと思う。
それは精神性の高さがうかがえるからだ。

争いは殆どなかったそうだ。
それは縄文人は生活環境の中で、ひとりひとりの寛容さだったり、信頼関係だったり、協調性だったり・・・
そうした内面性が愛深く豊かだったからだろうと思える。

だから縄文時代は10000年とも数万年とも言われるほど続いたんだと思う。
弥生時代はわずか1200年しか続かなかったんだもの。

縄文の精神性の面は、地球外生命との関連を示唆するような説も色々ある。
そしてインカとの関連も。
次の縄文話はその辺りも堀り下げてみたい。

続く・・・


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