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シャンティ

平安でありますように

縄文③ インカ帝国は縄文人が建国したのかもしれない

  1. 2018/09/10(月) 15:31:52_
  2. diary

縄文人はイルカ漁もしていたそうだ。
石川県能都町には真脇遺跡というのがあり、そこにはイルカ供養塔があるそうだ。

真脇遺跡
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類類と積み重ねられた大量のイルカの骨の上に、円柱が立てられ、
「月」の彫刻がほどこされているという。
イルカの死後の世界での平穏をこのような形で表現して祈念したのはないかと言われている。
そして恵みに感謝する。  

また紀伊半島には、鯨の供養塔や戒名まであるという。
縄文の名残りではないだろうか。

熊などの動物を獲ったときも、神に還る祈念をしたりして、
いのちをいただくことへの感謝を欠かせないと聞いたことがある。
また貝塚はいたるところにあって、きちんとまとまった場所に積まれていることも、
貝殻も粗末に扱わない現れに思える。

こうした精神は弥生時代よりずっと以前の縄文のときからあり、精神性の高さをうかがわせる。
更に。

インカ帝国では、キープと呼ばれる結節縄を用いた非常にユニークで珍しい縄文字が、
使用されていた事が、知られている。 

キープ42

ところがこれとそっくりの物が沖縄にもあったそうだ。
ワラサンと呼ばれる物が竹富島に伝わっているが、
結び目により物や数を表す、まさにキープと同じ物である。
 
しかもこれらの文字の使用目的もまったく同じである。 
どちらの文字も、手紙などの日常生活に使われたのではなく、
主に贈り物、貢ぎ物などの物資の記録用文字として使われたのだそう。




 


✽~✽~✽

キープと藁算より引用
http://www.gondo.com/g-files/wara/wara.htm

warasan2 qui.jpg
上段右の写真がインカのキープで、上段左の写真が沖縄の藁算である。 


(行修正色加)
 縄文字
南米のインカ帝国で用いられていた、キープと呼ばれる紐に結び目を付けて情報を伝達する手段の事をさす。

インカ帝国には、普通の文字は無くこのキープが文字代わりに使用
されてきた。
主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、納税などの際には必要不可欠のものであった。
また、単なる記号以上の複雑な体系を持つ文字の一種で、キープを教える専門の学校も存在したらしい。


ところが、このキープとまったく同じ物が日本の沖縄でも使用されていたのだ。 
しかも、こちらはなんと戦前まで実際に使用されていたと言うから驚きだ。

沖縄の縄文字は、藁算と呼ばれる。 
ワラで編んだ縄、又はワラその物に結び目を付けて情報を記録した物である。

 
藁算の起源について、中国の歴史書「随書倭国伝」の中に邪馬台国の頃の日本について書かれてあり、
藁算は、古墳時代以前より日本本土でも使用されていたと考えられる

沖縄地方では、高価な紙の替わりに藁算が、表記文字と共に情報伝達手段として
最近まで広く民衆の間で使用され、主に物品の種類やその数を記録するのに用いられ、
納税事務には欠かせないものであった。


縄文字と言う情報伝達手段が太平洋を挟んだ沖縄と南米に存在するのはなぜだろう? 
このように同じ使用目的を持つユニークな縄文字が、偶然2つの地域で別々に発生したとは非常に考えにくい。
キープと藁算はどう結びつくのだろうか?

-略-

ワシントンDCのスミソニアン博物館には、縄文土器とバルディビア土器を比較したコーナーがあり
縄文人が太平洋をわたった可能性が指摘されている。 

南米はスペイン人が到達する遥か以前に縄文人により植民地化されていたかもしれない。 
少なくとも縄文人の一部が太平洋をわたり、南米にまで到達していた可能性は非常に高い。
 
藁算も、太平洋をわたった縄文人により南米にもたらされ、それをもとに独自にキープとして
発展を遂げたと考えると、太平洋を隔てた2つの地域で、この情報伝達手段が存在する事も納得がいく。
又、日本独特の物と思われやすい綾取りや綱引きなども広く太平洋地域に分布している風習
なのだ。 
2001年6月2日 

<引用ここまで>
-------------------------------


南米インカ帝国と縄文文化とは、他にも関係性を感じる記述が色々ある。
インカのことを調べているとなぜか泣けてくる。なんか縁があるのかな・・・


デジタル出版の朝比奈 宏幸著 「嗚呼!縄文文明・黙示録」からの抜粋:
インカ帝国を縄文人だった出雲王国の末裔が建国した可能性について


↑の記事の最後に筆者独自の考えだが、出雲王国の有力豪族のイン氏をあげ、
その一族はイン家であり、その呼び方がインケ又はインカと呼べる事からその繋がりも示唆している。
確かに、イン・・・インベ、忌部・・・と想像は膨らむが。



下の映像では、
インカ帝国を築いたのは、火山噴火から逃れた九州南部の縄文人だった可能性がある
という研究者もあるとのこと。詳細は映像内にある。
(7300年前の大噴火:人類有史最大規模と呼ばれる、鬼界カルデラ、いわゆるアカホヤの大噴火)

元日本在住ペルー大使のフランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献(現在は非公開)があり、
この本のサブタイトルには
「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった。」 
とあるそうだ。



映像書き起こし

元日本在住ペルー大使のフランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献
「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった。」



南米の超古代文明インカ帝国には我々日本人祖先の足跡があった!?
インカ帝国は縄文人が建国した!?

インカ帝国に日本人建国説

インカ帝国という名前を一度は聞いたことがある方は多いと思います。
ひとつの説に日本人(縄文人)がこの帝国を築いたというものがあります。
今回はその仮説を紹介していきたいと思います。

インカ帝国は南アメリカ大陸、現在のペルー、エクアドル、ボリビア、チリ北部を支配し、
15世紀に最盛期を迎えた国家です。
しかし、新大陸に進出したスペインの征服者ピサロによって征服され、1533年に滅亡します。

このインカ帝国をつくったのは少数のグループと考えられていて、
13世紀から14世紀ころ、後に帝国の首都となるクスコから一気に領土拡張を開始したといわれています。
しかしその人たちが何処から来たのかは、文献が残っていないため、詳細がわかっていません。

そして今回の説について、元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献が残されていて、
国立図書館に保存、現在は非公開となっています。

この本のサブタイトルには
「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった。」 
という説が書かれていて、聖なる湖、チチカカ湖は、父ちち・母はは から取ったと言及、
更には日本人が海を渡ったルートまで記されていたといいます。

南米の多くの譜代文明の風俗・習慣、遺物などには、古代縄文文化と同じような物も多数存在しており、
その関連性が海外の研究者の間では、熱く議論されているといいます。

しかし不思議な事に日本の考古学では、最近では変わりつつあるが、
過去は縄文時代とは狩猟採取生活に毛が生えたような未開の時代であり、全く研究に値しないと考えられており、
弥生時代や古墳時代などに中国や韓国を通じて知識や技術が入ってきたもので、
その文明を受け入れた大和朝廷によってはじめて世界に通じる国作りが始まったとされていたました。

そのために縄文時代には太平洋を渡る技能が全く存在していなかったとされていますが、
実際世界中には縄文文明との繋がりを示すと思われる事柄が数多く存在しており、
古くから縄文文明を評価した論文が数多く在ることも事実でした


インカ帝国の記録を紐解いて浮かび上がるもの

インカ帝国 第9代皇帝、パチャクテクの子孫、ミゲル・アンヘル・トレス・チャベス氏には、
家に代々伝わる話があるといいます。
それは子供の頃から、インカ帝国をつくったのは日本人だと聞いていたそうです。

インカ帝国領土内の人々は、ケチュア語、アイマラ語など、征服した村の言葉を話していました。
しかしインカの王族の間だけで話されていた言葉があり、他の人には誰にも分らない言葉だったそうです。
それが日本語であるとしています。

インカなどの古代文明をつくった人々がどこから来たかと云う発祥地に関しても、東アジアと言われていますが、
日本の考古学では頭から否定されていてその研究も成されていないのが現状です。

しかしインカに関する記録を紐解くと

1、 彼らの骨格やDNA遺伝子に関する調査では、南米の人々に縄文人との繋がりがあるとされた。

2、インカの創世記の話しに、神から支持をされて姓名を上下反対にして、現地の名前の呼び方に合わせた
  とされており、本来は姓が最初で名が後にくる民族と思われ、東アジアの習慣と同じだった。

3、インカでは沖縄地方で古くからおこなわれていた2度葬儀と同じ方法で埋葬していたと思われた。
  それは最初の葬儀の後に暫くして開封して、遺骨を洗い浄めるか、または遺骨がミイラ化していたら、
  正装した後に、同じ住居の中で生活を共にして生きている時と同じように扱う風習が
  インカに伝わっていたと思われた。

4、インカには創世記の話しが各地に多くの伝承が残っていたが、
  その中のひとつに日本の古事記の内容と似た話が存在している。


そして、ペルーで見つかった約1000年前のミイラの便から、「ズビ二鉤虫」が大量に発見されました。
順天堂大学の奈良准教授によると、ズビ二鉤虫は寒さに弱いため、ベーリング海峡を渡り南米に到達した
とする北方ルートは考えにくい。
さらに昨年発表された論文では、南米沿岸の人たちは日本人とDNAが似ているといいます。

因みにこのズビ二鉤虫は、縄文日本人が、北米および南米インディオの祖先だということを証明してくれる
小さな承認ともいわれています。

それまでは、アメリカインディアンの祖先はモンゴロイドではないかという説が有力でした。
モンゴロイドたちは、ベーリング海峡が氷河で繋がっている時にユーラシア大陸から、北米大陸に、
歩いて渡って行ったに違いないと考えられました。そうした考えと共に、
日本のように小さな島国から日本人が太平洋を越えて移動できるはずがないという考え方が有力でした。

ところが、約3500年前の南米インディアのミイラの体内から「ズビ二鉤虫」という寄生虫の卵が検出されました。
「ズビ二鉤虫」は、5℃以下で2年間暮らすと体内で死滅してしまうという特徴があります。

したがって、アジア・ユーらしか大陸に住むモンゴロイドたちが、氷河期に凍り付いたベーリング海峡を
歩いて移動したという説が誤りであることが証明されました。
このことでやっと、縄文日本人がアメリカインディアンのルーツだということが、
この説を支持している学者は証明されたとしています。

ペルーの元国立記念碑文化遺産庁長官フェデリコ・カウフマン・ドイグさんは
「子供の頃、日本人ルーツ説をよく聞きました。
多くのペルー人がインカ帝国の皇帝は日本人だと思っていたのです」と語っていたり、
インカの暮らしを守り続けているマティンガ村には、
日本で見かける昔ながらの竈(かまど)があり、村に伝わる神話があるそうです。

「太平洋の彼方からやってきた神さまが王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくるといい残し再び海へ旅立った」と。

また、ペルーより北にあるエクアドルの海岸部で発見された土器類が、
南九州で5千年以上前に盛行した「曽畑式土器」とよく似たものであることがわかっています。

そして南九州、とくに鹿児島に多い「成人T細胞白血病」と同じものを起こす遺伝子も向こうには多いといいます。

過去、人類有史最大規模と呼ばれる程の火山噴火が鹿児島沖の硫黄島で起こりました。
鬼界カルデラ、いわゆるアカホヤの大噴火です。
これは日本中に痕跡を残しており、特に九州南部には最大1mもの火山灰を降らせたことが
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

沖縄を含む九州南部は全く人が住めない状態となったといいます。
そこで作られていた縄文集落が噴火の後無くなっており、人骨が見つかっていないことから、
住民がどこかへ逃避したことがわかっています。
大多数の住民は被害の少ない九州北部に移ったと考えられるが、
中国大陸やアメリカ大陸に渡った人たちもいたのではないでしょうか。

アカホヤの大噴火が起こったのは約7300年前だが、黄河文明は約6800年前、
南米エクアドルで見つかった縄文土器は約5500年前といづれも大噴火の後なのです。

年代的に見てこれらの文明をつくったのは火山噴火から逃れた九州南部の縄文人だった可能性がある
と研究者は話しています。太平洋には日本からアメリカ大陸に向かって黒潮が流れており、
その流れに乗って太平洋を渡ったと考えられるのです。

南米には前述の通り、遺伝子や土器のほかにも埋葬方法や言い伝えなど文化的に似通ったものがあり、
自分たちの祖先は日本人だったと主張する人もいるそうです。

いかがだったでしょうか?
因みに、インカ帝国遺跡のある謎多き、空中都市、マチュピチュの初代村長は日本人でした。

そして前述のマティンガ村に伝わる伝説、
「太平洋の彼方からやってきた神さまが王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくる。
と言い残し再び海へ旅立った。」

そしてその通りに、ペルーの移民政策を成功させ、フジモリ大統領を生んだのです。
移民が原住民に支持されたのです。このようなことも、この説が支持される理由のひとつなのかもしれません。
しかしこれはあくまで一つの説なので、ファンタジーとして楽しんでいただけたら幸いです。

年々高度な文明であったと判明している縄文時代。
我々日本人の祖先は海を渡り、新しい文明を切り開いていったのでしょうか?
これから先も世界のルーツは色々な仮説、そして真実が解ってくるのだろうと考えると楽しみで仕方ないですね。


<書き起こしここまで>

因みにしらべていてわかったのだが、「マチュピチュの初代村長は日本人」説。 
この村長さんh福島県出身だそう。


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